アドニスたちの庭にて

    “赤いスィートピー”

 


          




 さて、時は三月。立春を過ぎてからの今年最初の強い南風である“春一番”が観測されたのがつい数日前で。降雪も低温も、その量と日の長さが記録的な極寒となったこの冬も、その重い腰を何とかよっこらせと上げつつある頃合い。
「この頃合いは特に“暖かくなったな、もう大丈夫かな?”なんて思わせとくほど暖かくなっといて、油断したところに…真冬並みの寒の戻りとかあったりするんだよね。」
「そうですね。それと、雨も多い。」
 変わりやすいのは秋の空なんて言われているが、なんの春の空にも似たような言い回しがあるそうで。…っていうのを、先日見ていた天気予報で予報官の方が言ってたんですが。すいません、どういう言い回しだったか肝心なところを忘れた筆者です。
(ダメじゃん)
「一雨毎に暖かくなるというけれど、やっぱ鬱陶しいにはちがいないよね。」
 せっかく春めきを感じて浮き立っていた心への雨は、文字通りの水を差すもの。ましてや、それが大事な日なれば尚のこと。晴れがましくもお目出度い、旅立ちの日なら尚更に、新天地への門出を、せめて明るく照らしてと願うもの。
「晴れの日っていうくらいだから、いいお天気になってほしいものね。」
 それってお天気の“晴れ”が語源じゃないそうですよ? え? そうなの? ええ、中国から来た漢字の“晴”を当てはしましたが、読みはそれより古くからあった日本語をあてたもの。大元は占いの“ハレ”という言葉が元だとかどうとか…なんていう、相変わらずに造詣の深いお話を交わしておいでなのは。ここ白騎士学園・高等部の校史に於て、長さのみならず実力でも“最強”を冠された生徒会を運営してらした、元会長の桜庭春人さんと、執行部の部長だった高見伊知郎さん。濃紺の詰襟制服が描く、かっちりとしたラインが肩や背中、頼もしき胸元に長い御々脚などなどへ何ともよく映える、そりゃあもう凛々しくも清冽な、すらりとしていて上背のある方々であり。聡明そうな顔容
かんばせには、知性の煌めきと小粋なウィットを解する冴えとが同居していて、しかもしかも運動神経も抜群で…と来て。天が二物も三物も与えたもうた、何とも恵まれた人たち…と周囲からは憧憬の眼差しを集めるばかりのお二方でもあるのだが。
「一皮むけば、なかなか味わい深い人間ですよね、僕たちだって。」
 お行儀のいい笑い方をなさる高見さんの傍らから、亜麻色の髪をやわらかく揺らして、
「や〜だ。趣味が両手で収まらない高見くんと一緒にしないでくれる?」
 桜庭さんがちょこっとばかりお澄まししての、わざとらしいお言いようを挟んで来て。
「チェスの世界大会と英会話での弁論大会優勝しか公けには知られてないけど、囲碁や将棋だって名人クラスの方々に手ほどき受けてて、そこらのアマチュアの大会では負け知らずだって話だし、N展に出品した油絵が入選してるわ、お料理も手芸もその筋の大家から講師格の腕前を認められてるわ。」
 うわぁ、凄い。それってもしかして…やっぱり、高見さんの肩書というか経歴なんでしょうか?
「何でそんなにあれこれ手ぇ延ばせるのかな。」
 しかも、そんな身でありながら、成績は余裕の首席を通してた人でもあったとあって。
「そんなに暇だった? 生徒会の活動。」
 僕なんて そりゃあもうもう忙しかったよなぁって記憶しか残ってないのにサ…なんて。深色の目許をちょっぴり眇めて、困らせたいかのような言いようをなさる桜庭さんだったりするのだけれど、

  「………ほほぉ。そんな下らん思い出しか残っとらんのか、お前。」
  「あ、あ、嘘うそっ。
   一年の初めから妖一と出会えて、そりゃあもうもう幸せでしたvv」

 すぐ傍らへの通りすがりを装ったそのまんま、立ち止まりもせず“つ〜ん”とお澄ましして通り過ぎようとしかかった…金髪痩躯の美人さんの落とした一言へ、一転して焦りまくり。滅相もございませんと、大慌てで弁明するところが相変わらず。同じ濃紺の制服と、学校指定のトレンチコートとが、こちらさんはスリムな肢体をより引き締めて見せていて。ちょっぴり妖冶なところが印象的な、やっぱり三年生の蛭魔さん。幼稚舎からの持ち上がりではない、高等部からの中途入学で進学して来た彼であり、そうやって入ってくるための推薦入学の編入試験の朝、中等部の校庭からフェンス越しにたまたま見かけたそのまま、見初めた桜庭さんだったというから、
「これはもう天が引き会わせた僕らなんだってば。」
 な〜んて、熱心に掻き口説かれているのへ、つ〜んとつれなくそっぽを向きつつも。高見さんの位置からもぎりぎり見えるか見えないかという角度のその横顔、実はこっそりと口許が笑ってる蛭魔さんだったりし。
“おやおや。”
 桜庭さんもまた…つらつらとその多趣味なところを挙げられた高見さんに負けず劣らず、見るからに貴公子然とした麗しの風貌や壮健な体躯、スポーツは大概こなせる機敏さに、社交辞令をよくよく心得た小洒落た物言いに甘い声…という、いかにも育ちの善さそうな、温室育ちでございますという優しげな見かけ・挙動で固めたその陰で。
“実はすこぶるつきに切れ者で、洞察力にも長けていたりするんですものね。”
 ただでさえ、その鷹揚で押し出しのいいところから滲み出すカリスマ性から、人を動かすのも屈服させるのも得手なお人。そこへ加えて、トップの方は知らなくとも良いんですよなんて丸め込まれて誤魔化されやしない、様々な“保険”や“布石”を配しておく術も、この年齢で既に習得している周到さまできっちり備えている辺りは、今から充分に末恐ろしい人でもあって。そんな美貌の貴公子さんから、心からの忠誠を捧げられ、みっともないほどの真剣必死な声で“愛しているのに”と口説かれる優越。それへと…こっそりながら、何とも誇らしげに まんざらでも無さそうなお顔になってる金髪白皙の悪魔さんなのが、
“どちらも可愛らしいことですよね。”
 片やは、そんな奥深い身であるようにと育てられ、日本一のコンツェルン“桜花産業”を先で引き継ぐのだろう御曹司。片やは、自分の自負からのことながら、こちらさんもやはり…どこか謎めいた美麗な姿のその陰で、一端の人性のもと…何でもこなせるずば抜けた手腕と、複雑に輻輳した事態にあっても冷静に対処出来る集中力とを兼ね備え、高等部でのほぼ3年間、生徒会直属の“凄腕”諜報員として暗躍して下さってた途轍もない人が、その優れたところを認め合った上で、

  ――― 妖一が好きなんだってば。
       さあ、どうしよっかな、と。

 何とも微笑ましい恋の駆け引きをも繰り広げて下さってた3年間でもあった訳だねと、妙な方向へも感慨深くなっておられる高見さんが、何げに視線を外したその先では。

  “………おや。”

 見慣れた大きな背中がじっと何かに気を取られているのが視野に収まる。彼もまた、別れを惜しむ後輩さんたちにお名残り惜しいと取り囲まれてた筈の身。揉みくちゃにされて大変だったなら救い出してあげないとなんて思っていたものが、結構あっさりと そんな取り巻きたちから解き放されており。何かしら手立てが使えた彼なのなら、それもまた意外なことではあったが、それにつけても………、
「あんな遠くから、何を気後れして眺めてやがるかな。」
 背後からのやや乱暴な声がして…遠からずなことを思っていた高見さんもついついの苦笑。それに続いたのが、
「思い出すねぇ。セナくんが高等部へ上がって来たばっかの頃を。」
 初等科の頃はサ、上級生があんまり構い立てをしては同い年のお友達が出来ないって、そう思って遠慮してたんだろなっての、僕らにも何とはなく判ってたけれど。中等部でもあんな調子だったしさ。この上、高等部でも見てるだけを続ける気かと、春休み辺りからは そりゃあもう気を揉んだもんだったんだよねぇ。桜庭さんがそうと言うのへ、
「お前らまでが長いことそれに付き合って、見て見ぬ振りしてたのもどうかと思うぞ?」
 蛭魔さんが怪訝そうに訊いた相手は、桜庭さんのみならず、高見さんへもという問いかけで。
「まさか、二人して面白がっとったんじゃなかろうな。」
 だったら趣味が悪いぞと思ったらしい蛭魔さんは、セナくんの肩を持ちたがるお姑様気質がまだまだ抜けてないご様子であり、
「心外ですね。そうまで意地悪じゃないつもりですが。」
 辛辣な言われようへも、心あたりがないからか、特に怒った様子を見せはしない高見さんへ、
「いかにも優しそうな“人畜無害です”という態度でいるが、生徒会の顔触れん中で一番手ごわいのは結局お前だったしな。」
 こちとらそうそう誤魔化されやせんからなと言いつのったお姑様だったが、とはいえ…そんなこんなは今更な話だというのも重々判っているのだろう。
「…そいや、チビさん、また泣いてやがったよな。」
 話を本日限定なものへと切り替える。
「何たって当日ですからね。」
「まあ…そうなんだがよ。」
 元・剣道部の猛者の大きな背中の向こうには、つい先刻まで自分たちもそこにいた講堂が見え。大きく開け放たれた扉の向こうで、後輩たちがわいわいと撤収にかかっているのは、山ほどのパイプ椅子やら、場内の空気を引き締めていた暗幕やら。そう。本日今日はというと………。


   ――― 白騎士学園・高等部の卒業式が催されていた訳で。


 厳粛にして晴れやかな、お兄様がたの門出の日。これまでくどいほど並べ立ててたことだが、結構歴史の古い私立のこの学園には、由緒ある旧家の跡取りや財閥・政治家などという名士の子息たちが数多く通っており。とはいえ、そんな肩書だからというのは何のお守りにもならない、あくまでも実力重視の伸びやかな校風が自慢。卒業なさった方々の活躍ぶりも枚挙の暇がないほどと来て、それに惹かれてのごくごく一般的なご家庭からの進学生も勿論のこと多数おいでの、活気あふるる男子校。そんな学校でも重用されるのは、学年という年齢差における序列の絶対性。それを笠に着てのあまりに理不尽な振る舞いは、それこそ見苦しいこととして糾弾されもするのだが、そこまでいかない、あくまでもマナーとしてのこと。1年でも上の方は“お兄様”として立てねばならず、1年でも年下ならば“弟”として慈しまねばならず。それをもう少し個人限定に発展させたもの、一対一にての間柄へと適応させた風習が、この高等部に於いては連綿と続いてる。通り名を“絆の誓約”というのがそれで、主には新しく進学して来た一年生を対象に、上級生のお兄様がお声をかけられ、

  ――― 僕が守ってあげましょう。判らないことは教えましょう、と。

 学内での“お兄様”になって下さる習わしがある。あくまでも双方合意の上で結ばれる約束ごとで、そういう間柄になったからといってお兄様が無体を働くのは当然ご法度。そんな問題を起こしたならば、他のお兄様がたや、どうかすればOBの方までが担ぎ出されもするそうなので、そこまでいやらしくも醜い騒ぎが起こった試しはないそうだけれど。お兄様が恥をかかないようにと、弟くんは懸命にいい子になるよう努力をし、お兄様はお兄様で、弟くんが誇りに思えるような人性を育もうとし。今時には随分と古風な代物ながら、結果的にはいい効果をばかりを齎すのでと。先生がたにも黙認されてたほどの、そんな誓約を結んでいらした、それはそれはかわいらしい“お兄様と弟”だったとあるお二人に、ある意味、ずっと付き合わされてたこちらの皆様がた。
「秋からこっち、湿っぽい顔ばっかしてやがったが。」
 いよいよお兄様が卒業の日を迎えたとあって、二人の感慨やら何やらもひとしおだろうよなという想像は容易くついたが、
「いっそ新学期が始まれば、大した別離でもないとすぐ判るんですのにね。」
「まぁな。」
 くどいようだが、蛭魔以外の元・最強生徒会の皆様は、すぐお隣りの白騎士学園・大学部へ進学することになっており。どのくらいご近所かというと、高等部の生徒は大学部の敷地内にある学生生協を利用しても良いことになっており。
「そりゃあまあ、大学部は一応“総合大学”と銘打っておりますだけに、構内もかなり広くはありますが。」
「携帯で呼び出せば、どんなにかかっても十数分後にはどっかで落ち会える程度の距離だもんな。」
 どうかしたら、仕切りのフェンスは共有なのに行き来が禁じられてる中等部よか近いぞ。そうですよね、そんな立地を“利用”して、聖キングダム女学院の生徒と大学部の構内で昼休みデートをしている強者もいるそうですし。…お前、何でも知ってやがるのな。あ〜〜〜っ! もしかして妖一、去年のばれんたいんで…もがむが…。そんな古い話を蒸し返すんじゃねっての。


   ――― しばらくお待ち下さいませ。
(苦笑)


 この春からは、それぞれの生活の場が、大学部と高等部とに離れてしまう、お兄様と弟くんのお二人であり、
「とはいうものの、外野が適当に執り成したところで何にもならん。」
「そうですね。ああいうことは自分たちで納得するのが一番です。」
「そっかなぁ…。」
 俺たちには手の打ちようがないぜと肩を竦める蛭魔さんといい、寂しげなのがお気の毒ではありますがと苦笑する高見さんといい、妙に気の合った言いようをするこちらのお二人へ。桜庭さんだけが“うむむ”と納得がいかないお顔になっており、
「引っ込み思案なセナくんと、悪気はないらしいながら、繊細な心遣いとかされると今一歩踏み込みが足らない進…なんていう組み合わせなんだのに?」
 いつも遠慮ばかりしている子と、そんな子が“えいっ”て差し出してた手に、鈍感が過ぎてなかなか気がつかない朴念仁という組み合わせ。周囲がフォローしてやんないと、その手が届かずに しょむないことで破綻しないかしらと言いたげな元会長だったが、
「そうやって過保護に構えてたらいつまでたっても学習しねぇぜ?」
「それに、僕らだってそうそういつも、万全にって気を回してあげられる訳じゃあないんですよ?」
 第一、お前の“一丁咬み”は、単なる野次馬根性から出てるだけの代物だろうがよ。あ、言ったな〜。妖一だって、セナくん限定な話へだったらば凄っごい過保護になるくせにっ。そうかいそうかい、もう公認だってんなら隠しも照れもしないまま、大っぴらにチビすけの後援会を立ち上げてやろうじゃねぇか。

  「…なんですか、そりゃ。」
  「毎日チビにだけは逢いに来る。」
  「それだけ?」
  「それだけ。そんでもってお前にも逢わずに帰る。」
  「酷っど〜〜〜いっっ!」

 ああもう、セナくんを肴にしての痴話ゲンカはおよしなさいと、高見さんが苦笑混じりに止めに入ったぽかぽかという叩き合いの最中にて、

  “それにしても…。”

 はい? どうしましたか、蛭魔さん。

  “考えてみりゃ、あれほどの存在感のある野郎に睨まれていて
   …何でセナちび本人は、8年もの間、全く気がつかないでいたんだろう?”

 ……………おや。そういえば…?
(おいおい)







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